人々舎について

2020年12月に立ち上げた「ひとり出版社」です。

(立ち上げの経緯はこちらに、この屋号に決めた経緯はこちらに書きました)

そもそも働く/生きていく「場」がなくなってしまったのでした。残された少ない選択肢と、さらに少ない可能性をわたしなりに探っていった結果、自分の「場」は自分でつくるほかないのかもしれない、やるしかないのかもしれない(当時44歳!)、という判断にいたりました。

しかし振り返ってみると、わたしにとって(音楽と)本はずっと前から「場」でありました。本を読むこと/つくることは、「心と身体をつなげる=主体を取り戻す行為」そのものだったからです(生きているだけなのに、心と身体が乖離しませんか?)。そこには、ザラりとした手触りのある心の「ゆさぶり」が確実にありました。

ゆさ・ぶ・る【揺さ振る】

  • 1 ゆさゆさとゆり動かす。ゆすぶる。
  • 2 意図的に何かを仕掛けて動揺させる。また、強く感動する。

大辞泉【第二版】より

この「ゆさぶり」について考えることにしたのは、自分が無意識に大事にしていることを突き詰めないことには(言語化に挑まないことには)、出版社なぞ、とてもとても始められないのではないかと思ったからです。

以下は立ち上げると決めた当初に、汚い字で殴り書いたノートの一部です。

揺さぶるものは何か。その人がその人でしかないとき。そうするしかないとき、せざるを得ないとき。その表現を選ばざるを得ず、その表現に選ばれているとき。その人自身を感じたとき。すなわち、うつくしさを感じたとき。例えば、「愛」「勇気」「希望」「覚悟」「優しさ」「弱さ」「正直さ」「切実さ」「痛み」のようなもの。そんな人間の中身が見たい。

わたしを揺さぶるものはあなたも揺さぶる。なぜなら、わたしはあなたではなく、あなたはわたしではないが、わたしはあなたでもあり、あなたはわたしでもある、のだから。

自分がやることは、一冊に手間と時間をかけて、小部数でありながら確実に読者に届けることだ。それは、個人の血や汗や涙を現す本。読み終わったあと、今まで使ってきた言葉や見てきた景色が変容する本。すぐに消費されず、長く読み継がれる本。そのためには、書き手の内部を引き出し読者へと差し出す。無知を知り、忖度をせず、正面から本に向かう。商品である前に作品であること。まず人から始めること。揺さぶられたその文脈を身体で感じること。そこに人間の本質があり、救われる、必要とされている魂が必ずあると信じること。

つらつらと考えを巡らせた末、わたしはこの「ゆさぶり=うつくしさ」により、今まで生きながらえてきたのだと結論しました。わたしたちとは無関係に存在し、しかし関わらざるを得ない「世界」と対峙するには、どうしても必要なことだったのです。

ならば、この「ゆさぶるものたち」を本に込めよう。少なくとも、込めることに身を投じよう。これらがあればどうにか生きられる(た)のだから。だからこそ、ほとんどいないかもしれないけれど、「救われる、必要とされている魂が必ずある」と信じよう。

スローガンの「本にむすうのうつくしさを。」は、このようにして決まったのでした。

人々舎は、このスローガンをお守りにしながら——たびたび立ち返りながら——「人々」の通り、それぞれの、おのおのの、めいめいの「個」に向いた出版活動をしていきます。

どうぞよろしくお願いいたします。

人々舎 樋口聡