2026.05.27
突然ですが、あなたは「実家」と聞くと何を思い浮かべるでしょうか?
もしあなたが実家を離れて生活しているとしたら、一緒に暮らしていた家族のことを思い出すかもしれません。食卓での会話やその時に流れていたテレビのこと、あるいは飼っていたペットやよく読んでいた漫画について。実家にまつわるさまざまな記憶がふっと蘇ってくるのではないでしょうか。
一方で、今も実家で暮らしている方もいると思いますし、そもそも実家がはじめからない、あるいは途中でなくなったという人もいると思います。それでも、それぞれに育った場所についての記憶は残っているのではないでしょうか。私の場合は27歳の時に親が離婚と再婚をしたことによって実家と呼べるようなものはなくなりましたが、それでも実家というものについてのイメージは変わらず残っています。
最初の質問に戻ると、私は実家と聞くと、父親ではなくて母親のことを思い出すことが多いです。想起されるのは母親の姿というよりは強い思念のようなもので、それがこちらに向けられている感覚が蘇ってくるのです。なんというか、家中に母親の意識みたいなものがクモの巣のように張り巡らされていて、それを避けたり、絡みとられたりしながら生活をしていたように思います。ずっと誰かに監視されているような感じがしていました。実家と聞くと、そういう息苦しさを思い出します。
この連載「家をひらく──実家について話すこと」では、様々な人の力を借りながら「実家=生まれ育った家」について調べ、考えていこうと思っています。実家についての本と一言で言っても大雑把すぎるので、少し噛み砕いてみると、
① 様々な家庭で育った人に話を聞き、公に読める形で残すこと
② 同時に、私と親との関係性について考えてみること
この2つが主な目的になります。
そのため、内容も大きく2つに分かれていて、育った環境について誰かにインタビューを行うパートと、それを聞いて私がどのように感じ、考えたのかを記録するパートで構成していく予定です。つまり客観的な立場から誰かの生育歴の語りを記録することと、極めて主観的な立場で過去を振り返ったり物事を捉えたりするという、2つの対極的な章から成り立ちます。
ところで、なぜ実家について考える必要があるのでしょうか?
まず第一に、私自身が自分の育った環境に対して問題があり、それがいまの自分にネガティブな影響を及ぼしていると感じているからです。具体的に言えば両親、特に母親との関係性についてです。
私は他者に対して深いところで信頼感を持てなかったり、どこにいても安心することができないと感じてしまうのですが、それは親との間で起きたことに原因があると思っています。そして、それを個人的に研究することが自分自身の、ひいては他の誰かの助けになるのではないか。そういう風に感じているところがあります。小さくて個人的なことにこそ多くの人にも通ずる問題が眠っている。私にはそういう風に思われてならないのです。
一方で、より社会的な動機もあります。それは、私たちの育った環境についての語りはもっとオープンに記録されるべきなのではないかということです。
今の社会では、私たちのそれぞれがどんな家庭で育ち、それをどう感じているかについて、語られにくい状況があると思っています。ひとつひとつの家は家族というタテ割り構造の分厚い壁で分断されており、家の内部は隠されています。だから、家の内側の空気を外側から推し量ることはほとんどできません。他人の家についてはなるべく踏み込むべきではない──それは社会的な常識となっていて、私たちはよほど仲良くならない限り、目の前にいる人がどんな環境で育ち、親に対してどのように思っているのかを知ることはないのです。
この構造はそれぞれのプライバシーを守っている一方で、欠点もあると思っています。
例えば、自分が実家を離れることができなかった中高生の時に、他の家について知ることができたらどれだけ救われたか、と今でも思うことがあります。私の家では父がほとんど不在だったため、母の判断だけが正しく、父を含めた外部の視点が入ることはほとんどありませんでした。それゆえに、家の中だけで設定されていたルールやバイアスに気づくことができなかったのです。「それは親が間違っている」とか「そういう扱いを受けることは不当なことで、あなたは傷ついていいんだよ」と、誰かに教えてもらいたかったと心底思っています。
子どもにとっては、親も家も唯一絶対の存在です。だから自分以外の家について知ることは、自分のいる場所を相対化し、客観的に判断して、どういう状況なのかを確かめるために大きな助けになりうると思うのです。
私が最初に自分の家の歪さを自覚したのは大学生の時でした。実家を離れて一人暮らしを始め、友だちや恋人と個人的な話をするようになって初めて、自分の家が少し「違う」ことを自覚したのです。「両親が仲良く出かけている」とか「親に軽口を叩ける」とか、そういう話を人から聞いてやっと自分の育った環境を客観的に見られるようになりました。
そして、そういう風に様々な人と話してみて、私以外にも実家で居心地の悪い思いをしてきた人がたくさんいるのだということにも思い至るようになりました。
両親の関係性はかなり前から破綻していましたし、私自身も父母どちらに対しても安心して話をすることができないという感覚を抱えています。そんな中でも、友だちと親についてお互いの感じていることを共有することで、どこか人生の仲間ができたような感覚を得ることができました。きっと彼らとはお互いをケアしあう関係になっていたのだと思います。最初に友だちと親について話せてから10年以上経ちますが、その時の記憶は今でも私を励まし続けています。
これ以降私が感じているのは、誰かの育った環境について話を聞いたり、本を読んだりすることによって、心が深い部分で救われることがあるということでした。私以外にもこういう思いをしていた人がいたんだ、そう思わせてくれる誰かの存在によって、自分自身の立っている場所が肯定されていくような感覚に包まれることがありました。それはつまり自分が、今いる場所に安心できるようになっていくということでもあります。
この連載「家をひらく──実家について話すこと」というタイトルには、これまで閉じられていた実家という存在をひらいて、オープンにしていこうというメッセージが込められています。語られることによって、これまで私たちを分断してきた厚い壁を解体し、少しでも風通しの良い社会になったらいいなと思っています。
これから始まるのは、さまざまな人の語りを通して自分自身の問題に向き合う、長い山登りのようなプロジェクトです。これを読んでいるあなたも、最後まで一緒に歩いていただけたら嬉しいです。
第1章 『わたしの「実家」の場合』は、6月下旬ころ公開予定。
