新連載「まる、さんかく、しかく。みんなのおにぎり」について。

2025.11.02

ダラダラとグダグダと書いてしまいました(文責/人々舎・樋口)。

人々舎は「日々と。」というWebよみものページを持っています。長らく開店休業状態でしたが、このたび新連載をはじめることにしました。

すでに「はじめに。」と「第1回」を公開しています。「まる、さんかく、しかく。みんなのおにぎり」。著者は、写真家・文筆家・映画監督の阪本勇君(人々舎ホームページの写真はすべて彼の仕事)。

勇君(みんな彼を勇・いさむと呼ぶ)と出会ったのは10年近く前でしょうか。ばったり会った友人と一緒にいて紹介され、写真を撮っていると聞きました。カメラマンとして生計を立てているとも。当時のわたしは本をつくる仕事はしていましたが、うだつがあがらず、怠惰な日々をおくっていました。どんな写真を撮っているのか知りたく、ポートフォリオを見せてもらった記憶があります。

むかし写真集をつくる仕事の真似事をしていたことがあり、それをきっかけに写真が好きになりました。常に流れている時間の一点を切り取る行為(写真を撮る)を、とてつもなくカッコイイと思うと同時に、とてつもなく切ないとも思ったのです。森山大道さんの本『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい』のタイトルが、まさにそれを言い表していると思えました。

と言っても、語れるほど写真に詳しい(勉強した)わけではなく、90年代のカルチャー誌や音楽誌に登場し活躍していった写真家たち——大橋仁、佐内正史、高橋恭司、HIROMIX、長島有里枝、野口里佳、川内倫子、大森克己、ホンマタカシ——ら、の写真(や写真集)が好きで勇君の写真はその流れにあると(偉そうに)感じました。でも話をしてみると、例えば、荒木経惟、後藤繁雄、林文浩、中島秀樹などの名前が上がり、まんざらその直感が外れてないことを確かめたのでした。彼は飲み会でも首からカメラを下げ(機種は知りません)、ときどきシャッターを切りました。

その後、飲み友だちとして過ごしたのち(ほぼすべて無理やり付き合わせ、バカな写メをたくさん残した)、わたしがある出版社に勤めていたときに、一冊まるまる一緒に本をつくりました。若くして難病(途方もない難病)を患ってしまった方の自伝的エッセイです。身体中の筋肉を動かす細胞が徐々に動かなくなっていく彼の行く先々を追って取材し、勇君が写真に収めました。大学病院での診察やリハリビリ、妻や友人、同僚、両親へのインタビューなどなど。勇君には全面的に写真を撮ってもらいました。わたしは写真や写真集を見るのは好きでしたが、写真家が写真を撮る現場を目撃したのは初めての経験でした。

勇君が撮る被写体の人たちのおおくは笑顔になります。なぜだろうと思っていましたが、それは、警戒させずにふところに入る雰囲気づくりが上手だからなのでした。そしてその人を決して属性で判断せず、「その人をその人そのもの」として見ます(わたしはわたし、あなたはあなた)。そうして撮られた写真の奥には、まぶしい笑顔の向こうに、ほんの少しの切なさや孤独、さびしさを感じました。と同時に、その切なさや孤独、さびしさは、勇君が被写体へ投影した自身の姿なのだろうとも思うのです。わたしはそこが好きなのでした。

おにぎりの連載に話を戻します。じつはこの連載は、過去のダンチュウWeb連載(現在は非公開)を改稿転載したものです。

この連載をダンチュウWebで初めて読んだとき、「これはいい!」と直感しました。勇君の良さがあますことなく発揮されていたからです。笑顔と切なさが同居する写真、くったくのないかざらない文章、手書き文字から見えてくる人柄、そしてモチーフとなる、おいしそうなおにぎり。一見してすぐ、おにぎりをとおして見た人間の物語なのだとわかりました。当時から書籍化の話もあり、デザインラフのPDFを見せてもらったのもそのころです。わたしだったらこうしたいと浮かんだイメージではありませんでしたが、いい本になるといいね、と言いました。

そのうちわたしは人々舎を立ち上げ、ホームページの写真はすべて勇君に撮ってもらうことにしました。定期的に会って撮影し(杉並中央図書館、セプテンバーカウボーイ事務所、コズフィッシュ事務所など)、おわりしなに居酒屋で酒を飲みました。わたしはそのたびに、おにぎりの本はいつ出るのかと聞き、勇君からはフニャフニャとした要領を得ない回答をもらう関係が続きました。

そしてとうとう昨年のいまごろ、わたしの我慢が限界となり勇君に詰め寄りました。「本が出ると言いながら、いつまでたっても出ないじゃないか、何かあるんじゃないか、出ないのなら人々舎で出させてくれ」。ここでは詳しく書けないのですが、権利関係が複雑に絡み合って、どこの誰に責任の所在があるのか、わたしにはまったく見えませんでした(勇君は自分のせいだと言いました)。ガチガチならば一つひとつほぐしていこう。人々舎で出すとしたら考える本のイメージで勇君を説得し、権利を持っている人たちへも説得をはじめました。当初はすぐにほぐれるだろうとタカをくくり、今年のGWあたりには刊行したいと呑気に構えていたら、いつまでたっても進みやしない。これも詳しくは書けないのですが、ほんとうにほんとうに疲弊しました。でもそうして粘り強く動いて耐えて待ち、やっと8月に権利関係がクリアになったのです。ですが、もう本を刊行する金がなくなっていました(あるにはあるのですが)。苦肉の策として、すぐに本を出すことができないなら、人々舎のWebで再掲載しつつ、書籍化までのロードマップを描きたい。読者へこの連載の魅力を提示しながら、あたらしい展開を探りたいと、こうして連載をはじめることができました(コンセプトを練り直し、全体を再構成しました)。関係者のみなさまへ、あらためて感謝もうしあげます。

と、ここで締めるはずだったのですが、ちょっと個人的なことを書くことにします。これまでの文脈では、わたしが相当にこの連載に惚れ込み共感し、やっとのことで連載をはじめることができた、と読めます。ですが最後に、わたしが個人的にこの連載をどう思っているのかを書かかないことには、どうにも無責任な気がしたのです。

これから十数回にわたるそれぞれの回では、勇君の撮るおにぎりや友人たち、家族の風景が出てきますが、正直なところ、わたしにはそのような風景を経験したことがないのです。ありきたりな言葉で表現するならば、「あたたかい家族の風景」でしょうか。

以前つくったZINEにも書きましたが、わたしは母への強い愛憎がありました。ありましたというのは、2年前に他界したからです(享年78歳。わたしが47歳のとき)。育った家庭には、いつも両親の喧嘩と罵声と怒号がありました。母は仕事で忙しい父の在り方に我慢がならなかったのです。その不満は小さなわたしへと向かいました。しかしわたしには、そのころの記憶がほとんどありません。心理学的には「抑圧」と言うそうです。思い出したくないほど、強い抑圧がかかっていると。そのため、わたしが見てきた、生きてきた世界は歪んでいて、理由のわからない生きづらさをまといました。誰かに愛してほしいけど、誰にも愛されたくないという矛盾した感情を持ち、ずいぶん振り回されてきました。そこには加害もあったし被害もありました。母の死をきっかけに、自分のなかの愛憎を直視し、いままでの生きづらさ一つひとつに、名前をつけているところです。

そんなわたしから見ると、この連載に登場する家族の風景は、あまりにもフィクションであり、あまりにもファンタジーなのです。勇君がおにぎりの話を聞いた文章を読み、できあがったおにぎりの写真を見ると、きっとおおくの読者は、自分の記憶にあるおにぎりを思い浮かべるのではないでしょうか。あの日あのとき、にぎった/にぎってもらった「あのおにぎり」を。ですが、わたしには(いまのところ)ないのです。おにぎりは思い浮かびません(きっと抑圧のなかにあるのでしょう)。

ですがこんなことを思うと同時に、わたしは勇君が撮る「あたたかい家族の風景」が好きなのです。強く憧れ求めているのです。そこに流れている「あたたかいもの」に触れてみたいし感じてみたいのです。そこには確実に「在る」のです。愛し愛される関係が理由もなく損得もなく存在している、まぎれもないドキュメンタリーだと感じるのです。それは、わたしには経験できなかったし、もちろん今後も経験できないのだろうけど、このように在ってほしい、こんなうつくしい世界で在ってほしいという、願いのようなものなのです。

ですからこの連載は、自分のおにぎりを思い浮かべられる人や、思い浮かべられないけどなぜか惹かれる人、それぞれみんなに読んでほしい。そしてそれは、記憶の彼方にある、小さなわたしへの祈りでもあるのです。

まる、さんかく、しかく。みんなのおにぎり」。

写真上:打ち合わせ後の去り際に駅のホームでポーズをキメる阪本勇君。
写真下:すぐさま追いかけてくる阪本勇君。2枚ともに撮影は人々舎・樋口。