2025.11.01
中根ゆたかさんは独特で自由な人だ。
初めて会った十数年前には腰くらいまであった髪の毛が、この日会ったときはすっきり短くなっていて、その代わりとでも言うように、まるで仙人のように髭が伸びていた。詳しくは忘れたが、なんちゃら健康法というのがあるらしく、健康のために冬でも草履で歩く。


住んでいる場所もずっと転々としていて、東京の駒沢、半蔵門、神奈川の箱根、京都の福知山、そしてこのときは京都の綾部市に妻のナオコさん、長女のフキ、長男のタキと家族四人で暮らしていた。「ちょっと行って来る」と言って、思い立ったかのようにフランスに行って家族で半年間生活したり、ポートランドでワンシーズン過ごしたりもする。
マツダのロデオという大きいキャンピングカーを買っていた。ポータブル電源も買って、パソコンを積んで、これでどこに行っても仕事ができるようにしたいと言う。イラストレーターという、場所を選ばない職業だからできるのだろうけど、その自由さとフットワークの軽さに僕はずっと憧れている。


中根さんは土鍋でご飯を炊く。僕も土鍋で炊いているけれど、僕のやり方とは少し違った。
なんと言えばいいのかわからないけど、とにかくご飯の炊き方まで自由だった。水加減も計量カップのようなものは使わずに、手のひらを水に浸して測っていた。飯ごう炊さんのときの炊き方みたいやなぁと見ていて思った。土鍋の空気穴に菜箸をブッ刺してから火にかけた。タイマーもかけずに、時計も見ていなかった。
炊き上がりを待つ間、中根さんが近所の山で摘んできて乾燥させた野草で作ったお茶を飲んで待った。


「そろそろやろか」と立ち上がり、土鍋に近寄って「ぱかり!」とフタをとったので驚いてしまった。「はじめチョロチョロ、中パッパ。赤子泣いても蓋取るな」。土鍋ごはんの炊き方として、僕はそう習っていた。
「赤子泣いてもフタ取るなって言いますやん! 途中で開けていいんですか?」と聞くと、「いいんちゃう?」と、ひとつも気にする様子もなく、木のスプーンで端っこのお米をすくって味見をし、少し水を足してから、またフタをして火にかけた。


僕の心配もなんのその、しばらくして炊き上がったご飯は見事な炊き上がり具合だった。しばらく蒸らしたあと、おひつにご飯を移した。普段、余ったご飯はおひつでそのまま保存するらしく、暑い日なんかはおひつのまま冷蔵庫に入れておくらしい。


手の平にジャリッと塩を塗り、じゃんじゃかじゃんじゃか握っていく。おにぎりを10個作って、おひつは空っぽになった。握り終わったころにナオコさんが帰って来たので、三人で子どもたちを保育園に迎えに行った。


ナオコさんに聞けば、東京に住んでいるとき、デートにはいつも中根さんがおにぎりを二つ握って来た。体は小さいのに、握って来てくれるおにぎりが大きいことにびっくりしたらしい。一つでお腹いっぱいになる大きさだった。


東京の代官山に、そこから富士山が見える西郷山公園という場所があって、そこのベンチに座って富士山を見ながら二人でおにぎりを食べた。節約のために家からお茶を入れた魔法瓶も持ち歩いた。これは今も変わらず、中根さんに会うといつもだいたい魔法瓶を持っていて、野草茶を分けてくれる。


保育園のおやつの時間におにぎりが出たらしく、子どもたちは家に帰ってもおにぎりを食べなかった。お姉ちゃんのフキは僕がお土産で持って行った八つ橋を嬉しそうに食べていた。弟のタキは保育園で遊んでいるときに足を怪我したらしく、この日は終始不機嫌だった。
中根さん、ナオコさん、僕の三人でおにぎりを食べ、残ったおにぎりは東京に帰る僕にお土産で持たせてくれた。おこげの特別なおにぎりも僕がもらった。


第2回「メンチこと、久米康二郎さん一家のしゃけおにぎり」の公開は11月中旬ころ予定。




































