屋号をさまよう ❺ 言葉が生まれる

第5回屋号をさまよう ❺ 言葉が生まれる

2023.07.25

次の日から3日間、吉岡さんの元ボスの祖父江さんの事務所コズフィッシュで、ゲラのDTP赤字潰しの仕事があった(コズフィッシュでは編集者に赤字修正を手伝ってもらうことがある)。そういえば以前に、祖父江さんに屋号のことを聞かれたのだが、うまく応えられなかった。当日は水を向けられたら話をしようと思っていたが、会うなり聞かれた。前日の吉岡さんのことを説明し——そういえば気になって眠れなかった——意見をもらうと同じような反応だった。祖父江さんの言葉はやさしかった。生涯、忘れることはないだろう。

日記より/2020年10月19日

祖父江慎さんのことは、もちろん知ってはいた。出版業界の片隅に入りだした、20年前くらいから。ただ、どちらかというと「本をヘンにする人」というイメージだった。本に穴を開けたり、凹ませたり、出っぱらせたり、角を切ったり、丸くしたり。「読む本」から「遊ぶ本」とでもいうか、「本」を拡張しようとしているというか、本をモノとして捉えて、新しい価値を加えようとしているというか。だけどそれが、当時の自分が考える「本」からは遠く感じていた。だから、関わることは、たぶんないだろうな、と思っていた。それが変わるようになるのは、吉岡さんとの仕事を通して、その人となりを知るようになってからだ。

セプテンバーカウボーイの事務所には、用事がなくても定期的に足を運んでいた。仕事の話もあれば、まったく関係ない話もする(吉岡さんは話を聞いてくれる)。そのなかで、祖父江さんのエピソードが、わりと頻繁に出てくるのだ。こんな仕事をする人の師匠とはどんな人なのだろう? と興味を持つには十分すぎるエピソードが。

吉岡さんがブックデザイナーを志したとき、誰の事務所に入るかを検討した。デザイナーを特集する雑誌を見る限り、みんな怖そうに思えた。ふと、あるとき目にした雑誌に、犬と並んだ祖父江さんの姿があった。これが、コズフィッシュの門を叩く決め手になったという、とか。コズフィッシュのデザイナーが祖父江さんにデザインを見てもらうとき(デザイン・チェック)、2つのパターンがあるという。すごくいいときは、ニコっとして笑う。あんまりなときは、悲しそうな顔をする、とか。

もうひとつ。これはわたしが聞いた話。知り合いの写真家がまだ食えない時代に、「かすうどん田中」でアルバイトをしていた。夏のさなか、祖父江さんが家族で来店する。注文した飲み物を席に届けて、テーブルから離れる。すると「あけましておめでとう! 乾杯!」という大きな声が聞こえたという。

こんなことを聞くにつれ、会ってみたい、仕事をしてみたいと思うようになっていった。

そんな機会を前職で得る。祖父江さんが敬愛する巨匠漫画家の本を企画したのだ。無事に企画が通り、メールでアポを取り、コズフィッシュに赴く。しかし、初顔合わせは最悪だった。「吉岡さんとよく仕事をしています」と話をすると——枕として言ってみた——「吉岡君に断られたから(コズフィッシュに)来たんでしょ(怒)」と言われたのだった。全然違うのに……それ以来、最悪だったのは最初だけで、すぐに冗談を言い合う関係になるのだが。

祖父江さんとの打ち合わせは、緊張の連続だ。あの、やわらかそうな風貌で一見あまり目立たないが、眼光が鋭く細部を見ている。対面するその人のつくり出す、微細な雰囲気を感じ取る。ちょっとした言葉選びや話の運び方など、スジが通らないことがあると容赦なく突いてくる。曖昧は許されない。その本はどんな本なのか。著者はどんな人なのか。どんな原稿を書くのか。ひと目こちらを見るだけで、ちょっと話をするだけで、その編集者が、どんな気持ちでこの企画に向き合っているのかを見抜いてしまう。内容によっては、断ることもあるんじゃないだろうか。著者が同席する打ち合わせでは、その本領が発揮される——みんな祖父江さんのことが大好きになるのだ。

一方で……事務的なことはどうだろうか。打ち合わせがダブルブッキングだったこともある。たいていは、アポイントの時間には始まらない(逆もあり。打ち合わせ中に次の方が来る)。あるとき事務所に向かうと、デザインを学ぶ外国人学生を相手(20人くらい?)に、講義をしていたことがある。そんなときは、事務所の奥の席に座って、棚に差さった本や資料を眺める。ああ、この本もコズフィッシュなのか、とか、作業途中のモニターを見ないようにするとか——祖父江さんのデスクはチラ見したことがある。デスクというより「巣」だった——いつまでもいることができる。

当時のわたしは、会社での居場所を急速に失いつつあり、こんなボスのもとで学びながら仕事ができたならば、どんなに素晴らしいことだろう、とよく思ったものだ(わたしは誰にも教わることができなかった野良編集。だから編集者でもなんでもない)。デザインに関することはもちろん、ほか、どんな不安も払拭してくれるだろう、この人ならば、という絶対的な信頼感、安心感があった。こんな先行き不透明で、何が本当で何が嘘かわからない時代に、迷ったならば、きっと道を指し示してくれるだろう、そんな太陽みたいな人なのだ。

コズフィッシュには頻繁に通い、永遠に進まないと諦めそうになるデザインについて、あの手この手で急かしていた。そうこうしていると、自分がクビになることになり、「クビになるんですよー」と雑談混じりに話をしていた。独立することも、屋号について悩んでいることも、決して思い詰めた感じではなく、あくまでも軽いニュアンスで。

ところで祖父江さんは、よく悪ふざけをする(緊張と緩和を演出しているのか、その意図は不明。おそらく……天然)。ちょっとスイッチが入ると、ボケ倒すのだ。わたしは、打ち合わせでのボケを拾うことが多くなり、そんな関係が続いていた。だから吉岡さんから、「屋号のことを祖父江さんに聞いてみれば?」と言われたときも、「何言われるかわからないので、絶対に嫌だ。何かの拍子にボケられても、拾えないだろう、このことについては……」と思ったのだ。だけど、もし……もし……祖父江さんが独立のこと、屋号について悩んでいることを奇跡的に覚えていて、水を向けてきたら話をしようと……一睡もできずにコズフィッシュに向かったのだった。

2020年10月14日——この日も忘れない——吉岡さんと話をした次の日だ。中目黒駅に着き、南口改札を出る。そのまま南下。駒沢通りを渡り、旅荘秋元を通りすぎる。しばらくして右。坂だ。登る途中にコズフィッシュがある。午前11時ころだったと思う。インターフォンを押すと、所属デザイナーの根本匠さんが迎えてくれる(主にやり取りするのは、実働する根本さんだ。超優秀)。打ち合わせスペースに入ると、長テーブルの端に、わたしが作業するmacとモニターがセットされていた。席に着いて根本さんからDTPのレクチャーを受ける。しばらくすると外でタバコを吸っていた祖父江さんが現れる。

「屋号どうした?」

「屋号どうした?」

わたしは準備してきた言葉を言う。「昨日、吉岡さんと屋号の話をしました。でも全否定をされて、とてもとても傷ついていて、立ち直れていません。これでさらに、祖父江さんからも否定されたら、もうどうなるかわかりません。だから、やさしく言ってください」。リュックから「命命舎」とデカデカと書かれたプリントアウトを取り出して見せる。

すると——やさしくはあった——「うーん、ちょっと不吉」「なんか牽制している」「違う意見を受け入れない感じ」「おごりがある」「世界を殻に閉じ込めようとしている」——おおむね、吉岡さんと同じ指摘だ。びっくりした。同じことを言っている——と言いながら、プリントアウトに直接ボールペンで何やら書き加える(魔法だ。魔法をかけた)。「ここが重いからとっちゃえば?」と「命」の「𠆢(ひとやね)」だけを取り出した。するとこうなる。

𠆢𠆢舎

そして、「人人舎」と書きながら「これでスッキリした。それに樋口さん、人が好きじゃん」と言った。なぜ「人」が好きなことを知っているのだ? と慄きながら(激しく動揺しながら)も、「これは……いいかもしれない……」と思えてくる。祖父江さんは続ける。「『ひとひと』ではなく『ひとびと』と読ませるのもいいね。濁音があると勢いが出るから」。

このとき頭の中にイメージが浮かんだ。祖父江さんの魔法により変容した「屋号」が、瞬く間に、外へ、空へ、世界へ、宇宙へと広がっていく。

わたしが取り出してきた「命」は、自分への覚悟としての言葉であった(このとき明確になった)が、正直なところ、昨日の自分とは打って変わり、変更してもいいのかもしれないと思い始めていた。吉岡さんに話をしに行ったこと。翌日にコズフィッシュで作業する予定だったこと。祖父江さんが声をかけてきたこと。そして魔法をかけたこと。これらはすべて地続きなのではないか——あらかじめ決まっていたことなのではないか(「あらかじめ決まっていた」に傍点)。

それにしても一瞬だった。引き伸ばされた、長い一瞬であった。だって忙しい偉大なデザイナーが、仕事にまったく関係のない、そこらへんの(野良の)イチ編集担当の悩みなんて聞くだろうか? しかも独立するとかなんとか……出版社の屋号をどうするのかとかなんとか……面倒なことに首を突っ込むだろうか? ちょっと信じ難い。でもむしろこの人はコミットしてきて、あっという間にわたしのことを救ってしまった。祖父江さんのこういうところに、みんな惹きつけられるのだろう(たぶん、いろいろなところで「誰か」を救っているはずだ)。

吉岡:よかったよね。祖父江さんが聞いてくれて。

樋口:だからね、祖父江さんにお礼を言おうとコズフィッシュに電話を入れたの。先週の金曜日に。

吉 「©祖父江慎って入れて」って、言ってた?

:「ん?? ヤゴ? ヤゴー? ん??」みたいな、覚えてないっぽい感じだった、っていうのは、まずある。

:わはははは! なるほどね。

:すいぶん電話を鳴らしても誰も出ないわけ。誰も出なくて。あー、そういうときもあるよなーと思っていたら、急に祖父江さんが出たんだよ!

:あー! まー、あるね、そのパターン。確かに。

:事務所に誰もいなかったんだね。きっとイヤイヤながら受話器を取ったんだよ。

:うん、すごいね。

:「もしもし?(ヨソ行きの声色。キーは高め)」 。警戒した声で出て。「祖父江さん! 樋口です!」って言ったら、「あー、樋口さん(安堵の声色)」。

:祖父江さんが、貯めちゃってる仕事の人(デザインアップを待っている編集者が電話してきたとしたら……)が出ちゃってたらね。はははは!

:そうそうそう! 「なになに??」ってなって。「いやいや、あの、屋号のことって覚えてます?」と言って。それで「 吉岡さんと決めて、いろいろ……つくってもらえたんです」と伝えて。

:ふんふんふん。

:「いろいろ相談したの覚えてます?」って言ったら、「ああー(おぼろげの声色)!」みたいな。

:ふんふん。

:「祖父江さんが助けてくれたから、それをいろんなとこで言ってもいいですか?」って言ったら、「あ、もう全然いいよ!」っていうことに、なったっていうね。

吉岡秀典さんへのインタビューより/聞き手:樋口聡(人々舎)/2020年12月15日

屋号をさまよう ❻ 言葉の始まり」へ続く

樋口聡ひぐち・さとし

1976年生まれ。茨城県水戸市出身。ひとり出版社・人々舎(ひとびとしゃ)代表。27歳のときに、バンド活動及びフリーター生活から出版業界へ。以降、編集の真似事と退廃の20年を過ごしたのち、2020年に独立。「本にむすうのうつくしさを。」をスローガンに、東京都中野区にて人々舎を始める。

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