第2回「メンチこと、久米康二郎さん一家のしゃけおにぎり」

まる、さんかく、しかく。みんなのおにぎり第2回「メンチこと、久米康二郎さん一家のしゃけおにぎり」

2025.12.15

メンチこと、久米康二郎(くめ・こうじろう)とは高校時代、同じクラスになったのをきっかけに仲良くなった。

メンチは小学生のとき、地元豊中の少年野球チーム、大池インディアンズに入っていた。強豪だった大池インディアンズでは、練習に行くときに持たされるお弁当の内容までもチームで決められていた。おにぎり2個と、メザシ2匹。きっと体づくりのことを考えてのことだろうけど、子どものころのメンチは苦いメザシが嫌で嫌でしかたがなかった。お弁当の時は毎回メザシの苦さをおにぎりでごまかして食べていた。

小学五年生になったとき、あるチームメイトのお弁当にメザシではない、もっと大きな魚が二匹入っていて不思議に思った。「何なんそれ?」と聞くと、「知らんかったん? シシャモはありやねんで」と言われて衝撃を受けた。家に帰ってすぐ親に言い、次の日からさっそくシシャモに変えてもらった。メザシの苦さをおにぎりでごまかす日々が終わった。

高校ではアメフト部に入った。入学した箕面高校のアメフト部はレベルが高く、全国を目指していたが、結局大阪ベスト4で終わった。一浪して入学した法政大学でもやはりアメフト部に入った。私立大学でアメフトをやるような同級生は金銭的に余裕がある家庭が多く、練習を終えるとみんなで毎晩外食をした。ただでさえアメフトはお金がかかるのに、とりたてて裕福とも言えないメンチは次第に金銭的についていけなくなった。仕送りを増やしてくれと親に言うわけにもいかず、外食の回数を減らして自炊をするようになった。どうすれば安くすむか、どうすれば食材が長持ちするか、どうすれば店より美味しいものを作れるか、そう工夫しているうちに料理がどんどん楽しくなっていった。

アメフト部のメンチは、体づくりのため練習後はプロテインを摂取することを義務付けられていた。立川に住んでいたメンチの家に遊びに行ったとき、プロテインの入ったシェイカーにコーヒー牛乳を注いでいたので、「プロテインって牛乳で飲むもんちゃうん?」と言うと、「牛乳嫌いやから、コーヒー牛乳でごまかしてるねん」と言ってシェイカーを激しく振っていた。

プロテインを飲み終わったメンチが「何食べる?」と聞いてきたので、「何食べに行く?」ということかと思った僕は「親子丼」と答えた。するとメンチはちょっと宙を見て考え、ベランダに出て野菜を手に戻ってきた。そのまま台所に向かい、冷凍庫から小分けにされた鶏肉を取り出して親子丼を作り出した。

学生時代、僕も周りの友人も、家でご飯を作るとなると卵かけご飯か、スパゲッティーを茹でてレトルトソースをかけて食べるか、腹を膨らますことが目的の料理しか作ったことがなかった。なので、あれよあれよと手際よく作られて出てきた親子丼を見て驚き、「これ、店のみたいやん!」と言うと、「あほか、店のよりうまいわ」と返された。自信満々なだけあって、メンチが作ったその親子丼は本当に美味しかった。

大学でもアメフトを頑張った結果、学生関東代表にまで選ばれたものの、就職活動では厳しい扱いを受けた。メンチが就職活動をしているころ、僕は大学を中退し、写真家のアシスタントをしながら、夜は居酒屋でアルバイトをしていた。ある日、アルバイトが終わって深夜に家に帰ると、ぐでんぐでんに酔っ払ったメンチがスーツ姿のまま僕の部屋の畳の上で大の字になって寝ていた。声をかけると、「くそぉ! 俺は全てを否定されたー!」と酔っ払いの咆哮。企業の面接で、自分がアメフトに打ち込んできた学生生活を一蹴されたようだった。その後メンチはアメフトで鍛えた根性で就職活動を戦い抜き、今では誰もが聞いたことがある大きな企業に勤めている。箕面高校時代の同級生のらっきょさん(真由さん)と結婚し、子どもも3人できた。

学生時代の自炊をきっかけに料理が好きになっていたメンチは、大阪勤務時代、休みの日は豊南市場に通い詰めた。独学で勉強し、魚は自己流でうなぎまで捌けるようになった。ついにはふぐの免許まで取ろうとして試験の申し込みをしたが、東京への転勤が決まって結局受けていない。

今は東京に家族を残して静岡に単身赴任している。会社からは一カ月に3往復分の新幹線代しか出ないけど、毎週末家族に会いに東京へ帰る。土日の昼、夜はメンチがご飯を作る。金曜日の夜に東京に帰ってきて、土曜日の朝早く起きて築地へ通う。

家で待っていてもつまらないから、らっきょさんも子どもたちもついて来るようになり、築地へ行くのが毎週末のイベントになっている。朝9時には出るので、休みの日遅く起きてくる子どもたちは車の中で朝ごはんを食べる。そのためのおにぎりを妻のらっきょさんが作る。

通い出した当初、豊南市場とは違い、築地ではよそもん扱いを受けた。毎週、買ったもののグラムや値段を記入して行くうちに相場がわかってきて、ボラれていることに気づいた。ボラれたとわかった店には二度と行かず、一年かけて通って信用を築き、今では「久米さん、久米さん」と声をかけられるようになった。三男のハルトはしたたかで、会計時に店の人に寄って行って飴をもらう。子どもたちにとってはそれも楽しみになっているようだ。

らっきょさんのお母さんのおにぎりは、昆布やらタラコやら、なんでも一緒くたに入れてしまうような豪快なおにぎりらしい。なので毎週末メンチが作る繊細な料理が嬉しい。ときどきメンチが作ってくれる、ほぐした秋刀魚と、ミョウガ、紫蘇の混ぜご飯のおにぎりが大好きだという。

「できることなら小料理屋を開きたい」と言うメンチに、「これ、いつも言ってるねん」と言ってらっきょさんが笑う。

 

第3回「TDとミチコさんのタコ飯おにぎり。」の公開は2026年1月初旬ころを予定。

 

 


 

 

阪本勇さかもと・いさむ

1979年生まれ。大阪府箕面市出身。大阪府立箕面高等学校卒業。日本大学芸術学部写真学科中退。写真家・文筆家・映画監督。現在、雑誌・WEB・映画などの人物を中心とした分野で写真と映像を撮影。自身でも監督として映画も撮影しており、映画祭に多数入賞し、高い評価を得ている。主な写真の受賞歴として、第26回写真ひとつぼ展受賞、第1回塩竈写真フェスティバル フォトグラフィカ賞。主な映画の受賞歴として、第1回おいしい映画祭でグランプリ・観客賞W受賞『JUMP ROPE BOY』、第26回TAMA NEW WAVE映画祭「ある視点部門」選出『宇宙のあいさつ』、第13回八王子shortfilm映画祭でグランプリ・観客賞W受賞『 じゃじゃじゃじゃーん! 』。sakamotoisamu.com
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