2026.05.01

以前住んでいた家の近くを、なんの目的もなくぷらぷらと散策していたら、店先に古本が置かれている店があった。古本はアート関連のものが多く、ガラス張りの店の中を覗くとどうやらそこはギャラリーらしかった。僕は写真特集の古い美術手帖を一冊手にとって、中に入った。
馴染みのお客さんらしき人と、オーナーらしき女性が話をしていたので、僕もなんとなく古本片手に持ったまま店内に飾られた絵を見ていた。
するとしばらくして、オーナーらしき女性が奥に引っ込み、お茶を乗せたお盆を持って出てきた。「どうぞ」と言ってお客さんにお茶を渡し、「これもよかったら。実家に帰っていたので、もみじの天ぷらなんですけど」と言って馴染みのお客さんに差し出した。僕はハッ! とした。もみじの天ぷらというのは、僕が育った大阪府箕面市の名物だったからだ。その女性オーナーは僕にもお茶ともみじの天ぷらをすすめてくれた。

「箕面なんですか?」と尋ね、同じ箕面出身ということと、それだけでなく僕の出身校の箕面高校の先輩ということもわかった。年齢が少し離れていたので同時期には通っていなかったけれど、オーナーの従兄弟も箕面高校出身で、僕と同年齢くらいだと言う。詳しく聞くと全くの同学年で、僕はその従兄弟と2年の時に同じクラスだった。
同じ出身地、同じ出身校ということもあり、その日をきっかけに仲良くさせてもらうようになった。それが「金柑画廊」のオーナーの太田京子さんだった。

ギャラリーの近くに旦那さんの実家があり、便利なので京子さんはそこで寝泊まりすることも多いが、旦那さんと二人の家は奥多摩にある。一度写真で見せてもらったことがあって、焚き火ができる広い庭もある。行きたい行きたいと言っていたら、「じゃあ、今度焚き火をしようよ」と誘ってもらった。「ここら辺(都心)よりもずっと寒いから、一枚多く着ておいで」と言われた。

京子さんは京都市立芸術大学を卒業し、アメリカのニューヨーク州マンハッタンにある美術学校に入学した。入学に際して面接みたいなものがあり、緊張して部屋で先生を待っていると、先生と一緒に日本人男性がひとり入ってきた。それが旭さんだった。旭さんはその2年程前からその学校で学んでおり、その面接には先生と生徒の通訳係として呼ばれていた。面接を受ける自分よりも明らかに緊張している旭さんの強張った顔を見ていると可笑しくて緊張がほぐれた。それが後々夫婦になる二人の出会いだった。
日本に戻ってきてから奥多摩に家を探したのは、彫刻の制作場所としてだった。旭さんはアメリカ時代、ウッドストックで彫刻家のアシスタントをしていて、自然に囲まれた生活が心地よかった。その環境に近い場所がいいと思って奥多摩で家を探したが、川が近いこと、日本家屋という条件で探していたこともあり、また、よそ者ということでなかなか信用されず、今の家を見つけるまで結局4年もかかった。

僕が奥多摩の家に着くと、飼い犬であるジョンが一番に出迎えてくれた。鎖なんてしておらず、自由に野山、家中を走り回っていた。京子さんが帰ってくるまでの間、旭さんが裏山で積んだ葉でいれた温かいお茶を出してくれた。

旭さんは基本的には奥多摩で生活をしている。彫刻の制作場所があるのと、奥多摩でカヤックやサップ、ハイキングなどのアウトドアの体験教室も開いている。元々は水泳をしていたので水なら平気くらいの気持ちでカヤックを始めたが、今では教える立場になった。


普段、奥多摩の家ではガス炊飯器でご飯を炊いている。ヤフオクで500円で落札し、送料で1500円かかった。とても美味しく炊けるその送料の方が高かったガス炊飯器を気に入っていたので、奥多摩に引っ越して都市ガスからLPガスに変わったが、業者さんにLPガスで使えるように改造してもらった。業者さんは「もしかしたらうまく炊けないかも」と言っていたが、実際ご飯を炊いてみたらなんの問題もなく炊けて、きれいな”カニ巣”もできた(米がうまく炊けたときに表面にできるプツプツした空気穴。一般的には”かに穴”と呼ばれているらしいが、京子さんは”カニ巣”という独特の言い方をしていた)。今もずっと愛用している。

お米を研いだ旭さんが、「焚き火するんだし、せっかくだから飯ごうで炊こうか?」と言ってくれた。アウトドアの体験教室では川で飯ごう炊さんでご飯を炊き、みんなでカレーを食べたりするらしい。余ったご飯はおにぎりにして持って帰る。季節によってはみんなでハイキングに行き、季節のものを拾ってきて、飯ごうでタケノコご飯や栗ご飯を楽しんだりもする。

以前、ぼくは京懐石の店で働いていた。その時に職人さんに鍋でのご飯の炊き方を教わった。耳で炊くんだと教えられ、鍋に耳をすますとパチパチと音が鳴っていた。このパチパチという音が聞こえなくなったら、10秒ほど強火にして水気をとばすのだと言われ、その時はよくわからなかったけど、僕も最近ようやく土鍋でうまくご飯が炊けるようになってきた。

旭さんの飯ごう炊さんの炊き方は、耳だけでなく、大げさに言えば五感をフルにつかって炊いている感じがした。ときどき蓋を爪先で抑えて振動を感じたり、炊ける音に耳をすましたり、匂いを嗅いだり。何度も何度も熱々の飯ごうに、あまりも近くまで鼻を近づけて匂いを嗅ぐので、いつか、鼻の頭が飯ごうに触れて「アチ!」となるのではないかと思い、その瞬間を写真に収めようとずっとカメラを構えて狙っていたがその瞬間は訪れなかった。

旭さんが焚き火と飯ごうでご飯を炊いてくれている間、京子さんは家の中の台所で鮭やタラコを焼いてくれていた。

しばらくして見事に炊き上がったご飯で、旭さんはわかめと梅のおにぎり、鮭のおにぎり、タラコのおにぎりの三種類のおにぎりを作ってくれた。

京子さんが言うには夫婦でも作るおにぎりの形は違うらしく、京子さんは俵、旭さんはさんかくの形らしい。旭さんのおにぎりは、山男的風貌から、大きくてごついおにぎりを握るのかと想像していたが、サイズはそんなに大きくなかった。ただ、横幅は旭さんの胸板のようにぶ厚かった。


その頃には奥多摩の友達が何人か集まってきて、京子さんが作ってくれた豚汁と一緒にみんなで焚き火を囲んで食べた。豚汁には裏山に生っていたゆずを高枝切りばさみで切り落とし、その皮を削って香りをつけた。なんて贅沢な食卓なんだろうと嬉しくなった。

僕は「美味しい」には「嬉しい」と「楽しい」が内在していると思っている。特におにぎりの場合はその要素が強い。外で食べるのは特別な美味しさがある。みんなでわいわいと食べる食事には特別な美味しさがある。

奥多摩は陽が暮れて周りが暗くなるのがとても早い。その日のお昼は暖かかったのに夜になると急激に冷え込んだ。みんなで家に入って、淹れてもらったコーヒーを飲んでたくさん話をした。
天気がいい時は、今日と同じように庭で焼肉やバーベキューを楽しむこともあるらしい。今度はその時にまた来たいなと思った。残ったおにぎりをラップに包んでお土産に持たせてもらい、奥多摩から自分の家へと帰った。考えてみれば飯ごう炊さんをするのは小学校の林間学校以来だった。
第6回「公園で一緒に食べた、海山さん一家のしゃけおにぎり」の公開は5月下旬ころを予定。














