2026.09.19
おばあちゃんの葬式の最後に、孫を代表して年長のミノルくんが挨拶をした。その挨拶の喋り出しの言葉がすべてを表していた。
「僕たち孫はみんな、おばあちゃん子で」
北條ばあちゃんは僕たちみんなを深く深く愛してくれて、また、誰からも愛された自慢のおばあちゃんだった。


2018年7月17日の夜中、おばあちゃんは大阪の千船病院で亡くなった。92歳だった。
普段僕は東京で生活しているが、その日、大阪で撮影の仕事が入っていたので大阪にいた。撮影を終えて、大阪の実家に帰ってきていたのでおばあちゃんの死に目に立ち会うことができた。偶然だとは思っていない。その前におばあちゃんに会ったときに、「次は7月17日に仕事で大阪に帰ってくるから」と、ベットで意識朦朧としているおばあちゃんの手を握って伝えていた。人一倍おばあちゃんに愛された自覚のある僕は、きっとおばあちゃんが待っててくれたんだと今でも信じている。
おばあちゃんはかっこよくて、かわいくて、もう最高な人だった。いくつになっても自転車で出かけたり、夜、この時間からバニラアイスを食べてもいいものかと乙女みたいに葛藤したりもしていた。


二人で出かけたとき、「ほんまは杖ついて歩いた方が楽やねんけどな」と僕に言うので、「ほんなら杖ついたらいいやん。家に取りに戻ったろか?」と言うと、バッグを「ポンポン」とたたき、中に折りたたみの杖が入ってると言う。ほんなら出して組んだらいいやんという僕に、「友達みんなが北條さんみたいに元気なん憧れるわー、って言うから、みんなをがっかりさせたらあかんやろ。電車乗って一駅過ぎたら杖ついていいことにしてるねん」と、独自のマイルールを持っていたりした。
おばあちゃんは四人の子どもを産んだ。全員女の子で、その四姉妹の長女が僕のおかんだ。
20代の頃か30代の頃かは知らないけれど、離婚したおばあちゃんは女手一つで子供四人を育て上げた働き者だった。80歳を過ぎても近所の工場から頼まれて、事務や経理のアルバイトをしていた。「おばあちゃんに遺産はありません。でも自分の葬式代は貯めてるから迷惑もかけません」と宣言されたこともあった。
おばあちゃんの一周忌で親戚が集まった。「この日は空けとくように」と、何ヵ月も前からおかんに言われていた僕もそのために大阪へ帰った。昼から親戚が集まってみんなで食事会をする。その前におばあちゃんのお墓まいりに行こうと従兄弟のそのみちゃんに誘ってもらい、そのみちゃんと、そのみちゃんの兄のミノルくん、そして僕の兄ちゃんとの四人で泉佐野にあるおばあちゃんのお墓へ行くことになった。ミノルくんが車を出してくれた。


おばあちゃんの次女で、ミノルくんとそのみちゃんのお母さんのともこおばちゃんが、朝からおにぎりを握ってくれた。ともこおばちゃんが言うには、おばあちゃんのおにぎりと言えば、「おこげのおにぎり」と「三色おにぎり」なんだと。「昨日スーパー行ったら見つけてん。まだ桜でんぶってあるんやね」と言い、ともこおばちゃんが桜でんぶを使っておばあちゃんのおにぎりを再現してくれ、それを持って墓まいりに行った。おばあちゃんのお墓に水をかけ、線香を立て、墓前でみんなで三色おにぎりを食べた。


昔、兵庫県西宮市苦楽園の工場の食堂でおばあちゃんは働いていた。その食堂は、途中からガス釜での炊飯器になったが、それまでは一斗缶に木の蓋をしてご飯を炊いていたときもあったので、必ずおこげができた。おこげを職人さんたちに出すわけにはいかないので、そのおこげは自分たちの賄い飯用にまわし、おにぎりにして置いておいた。


あるとき、大皿に置かれているおこげのおにぎりを見た職人さんが「それ一個ちょうだい」と言って持って行った。次の日、その職人さんが「昨日のあれないんか?」と言い、またおこげのおにぎりを持って行った。自分たちの賄い飯に作っていただけなので、具も何も入っておらず、強めの塩で握っただけのおこげのおにぎりだっだけど、職人さんの間で「おいしい」と噂になり、いつのまにか人気になった。「ご飯いらんから、おこげふたつくれ」と言い出す職人さんまでいた。
僕はそのおばあちゃんのおこげのおにぎりを食べたことがない。孫の中で、従兄弟のそのみちゃんだけはその味を知っていた。そのみちゃんは小学六年生の夏休み、食堂に手伝いに通っていた。朝から働いて、お昼になっておこげのおにぎりと冷やしうどんをもらうのが楽しみだったらしい。夏休みの終わりに、手伝い賃として五千円と、ずっと欲しかったメトロノームを買ってもらったのも思い出として残っている。


三色おにぎりは、ともこおばちゃんが小学生の遠足や運動会のときに作ってもらっていたお弁当に入っていた。桜でんぶと薄焼き卵と海苔のおにぎり。海苔がとろろ昆布に変わるときもあったという。
「この時代、卵はまだ高かったんよ。卵焼きなんてお弁当に入れられへんかった。だから薄焼き卵作って、おにぎりに巻いてくれてん」
その時代、クラスの他のみんなのお弁当は奈良漬とかカマボコを醤油で甘辛く炊いたものとか、とにかく茶色いものが多かったらしい。そんな中、自分のお弁当を開けると三色の色鮮やかなおにぎりが入っている。
「北条さんとこのお弁当きれいやねー、いいなー、ってみんなに言われるねん。せれがものそ自慢やってん! 今でいうキャラ弁みたいなもんかもしれんね。おばあちゃんハイカラやったんやろね」
一周忌で親戚が集まり、おばあちゃんの写真の前でみんなで食べて飲み、酔っ払いながら、そんな話を聞かせてもらった。
昔、おばあちゃんと話していたときにある男性の話題になった。「俺、その人知らんわ。どんな人?」と言うと、「ここいらで二番目にイケメンの男の人や」と言った。「一番は誰なん?」と聞くと、おばあちゃんは僕の顔を見て「あんたやんか」と答えた。僕が笑うと、おばあちゃんは真顔で僕の顔を見て、「何笑ってるんや」とでも言うように僕のほっぺたを「ぺちぺち」とたたき続けた。ただの日常の一コマかもしれないけれど、僕はこのときのことが忘れられない。どんなに苦しい状況になろうが、どんなにみっともない失敗をしようが、僕のことを肯定してくれる人がいるんだと思えることが、大げさに聞こえるかもしれないけれど、生きていく上でひとつの力になっている。


最後まで残っていた親戚で写真を撮った。もちろんおばあちゃんの写真も一緒に。飲みすぎた僕の兄ちゃんはソファーで潰れていた。これも親戚の中では見慣れた風景の一部になりつつある。


第10回「俳優の荒井さんと理奈子さん夫婦はおにぎりの想い出がいっぱい。」の公開は10月下旬ころを予定。











