2026.08.02
ケンシロウこと、荒川堅志郎とは大学で出会った。
「ケンシロウ」というイカつい名前の奴がいるらしい。しかも本当に眉毛が太いらしい。さらには空手部らしい。そういった噂が流れて、ケンシロウはちょっとした有名人になっていた。ケンシロウに初めて会った時、「ケンシロウって『北斗の拳』のケンシロウと同じ漢字なん?」と聞くと「あれってカタカナちゃうん?」と少し迷惑そうに答えた。地方者や浪人生といった共通点もあり、僕とケンシロウはよく一緒に遊ぶようになり、だんだんと仲良くなっていった。


ケンシロウとたまたま休みが合ったので、妻のみきちゃんと一緒に暮らす埼玉県の家まで遊びに行った。午前の早めに着いたので、二人は朝食をとるところだった。「一緒に食おうや」と言って、ケンシロウが玄米ご飯とナスの味噌汁をよそってくれた。朝食も夕食も、基本的にご飯はケンシロウが作るらしい。僕の周りにはなぜか料理好きの男が多い。食卓には出し巻き卵と、みきちゃんのおばあちゃん手作りのきゅうりのお漬物も並んでいた。


ご飯を食べ終わると、すぐに食器をみきちゃんが洗ってくれた。洗い物はみきちゃんの担当らしい。「私がなにもしてないのばれちゃうね」と笑いながら洗った食器を拭いていた。平日だったのでみきちゃんは仕事に出る準備をし、ケンシロウはみきちゃんのお昼ご飯用におにぎりをにぎりだした。
土鍋で炊いた玄米ご飯を慣れた手つきでにぎる。「あんまりかたすぎるのはあかんから、にぎるのは3回か4回くらいやな」と言い、綺麗な三角おにぎりを器用に作り上げた。


みきちゃんが初めてケンシロウのおにぎりを食べたのは付き合い出してしばらくした頃だった。当時、江古田に住んでいたケンシロウの家にみきちゃんは泊まった。翌朝、みきちゃんが起きるとケンシロウは布団にはおらず、もう出る準備をしていた。「俺、先に出なあかんから。これお昼に食べ」と言って渡されたおにぎりの大きさ、重さが印象的だったらしい。両手にのったラップに包まれた大きな重い二つのおにぎりを眺め、なんだか不思議な気分になった。
みきちゃんの中ではおにぎりは親に作ってもらうものという印象があった。男の人におにぎりをにぎってもらったのは初めてで、しかも遠出やイベントなどではなく、「ナチュラルに日常でそれをやられたんで、なんか面白いなと思った」とその時の思い出を教えてくれた。
みきちゃんのお母さんやおばあちゃんがよく作ってくれるおにぎりは白米で丸く、アルミホイルで包む。一方、ケンシロウのおにぎりは、「ケンシロウさんといえば茶色いおにぎりなんです」と言うように、玄米ご飯で、ラップに包まれているのでそれが見える。さらにはその大きさもあって、お母さんたちが作ってくれるおにぎりと同じものとは思えないくらいの存在感があったらしい。
結局、少食のみきちゃんはその大きなおにぎりを食べきれず、ひとつは持って帰った。


その当時は実家に住んでいたので、大きなおにぎりを持ち帰ったお母さんに、「それはなに?」と聞かれ、ケンシロウがお昼用に作ってくれたことを説明した。「持って帰ったおにぎりはもしかしてお母さんが食べたのかもしれない」と言って笑った。


後日、ケンシロウがみきちゃんのお母さんに会った時「ケンシロウくんのおにぎり大きいね」と言われ、自分がにぎるおにぎりがみきちゃんにとっては大き過ぎること、その時ひとつ食べれずに持ち帰ったことをお母さんの口から知った。それ以来、みきちゃん用ににぎるおにぎりは少し小振りにした。
その朝もひとつにぎっては、「これくらい?」と言ってみきちゃんに見せて大きさを確認していた。明太子おにぎりと、とろろ昆布巻きおにぎりの二つを弁当箱に並べた。
ケンシロウのお母さんが作ってくれるおにぎりには、必ずひとつとろろ昆布巻きのおにぎりが入っていたらしい。
小学校の遠足の日、そのおにぎりが大好きだったケンシロウはお昼を楽しみにしていた。お弁当箱を開けるとろろ昆布巻きのおにぎりがあって嬉しく思ったけれど、それを見た友達が「え!なにそれ!」と言った。今思えば子供の何気ない一言だったに違いないが、それまで大好きだったとろろ巻きおにぎりが急に恥ずかしくなった。お母さんが朝早く起きて作ってくれてることがわかっていたので、とろろ巻きをやめてとも言うことができず、それ以降ケンシロウはとろろ昆布巻きおにぎりがあると友達に隠れて食べるようになった。大人になって母親にそれを話したら、「あんたそんなこと思ってたんかいな」と笑われたらしい。


みきちゃんが仕事に出るので一緒に駅まで送った。雨降りだったので傘をさして並んで歩いた。「そういや雨の日はどうしてるんやろ」と、駅まで歩く時によく出くわすカップルのことが話題になった。長い髪をチョンマゲのように頭の上で結んだ男前の若い男性が、白人のきれいな外国人女性を自転車の後ろに乗っけて、さらにその女性はゴールデンレトリバーのリードをにぎり走らせながら駅に向かう。駅に着くと女性は降りてそのまま改札を抜けて、男性はゴールデンレトリバーと来た道を帰っていく。ふたりはそのカップルの関係や背景を想像するのが楽しみらしい。女性は外資系の大企業で働くキャリアウーマンで、男性はヒモであるというのが現在の予想だ。


改札の前で定期を取り出そうとしてバックを広げたみきちゃんが「あ!」と叫んだ。ケンシロウがにぎってくれたおにぎりを家に忘れてきたらしい。「そういうとこあるねん、この子。俺、もうそんなんでは怒らへんようになった」と、笑うでもなく怒るでもなくケンシロウは僕につぶやいた。


家に戻ったら、おにぎりが入ってる「DEAN & DELUCA」のケースがソファーにどでん!と置かれたままだった。そのおにぎりは僕がもらって帰った。


第9回「おばあちゃんがいつもにぎってくれた三色おにぎり。」の公開は8月下旬ころを予定。







